富山地方裁判所高岡支部 昭和43年(ワ)172号 判決 1969年8月23日
原告
堺真弓
被告
小馬崎道夫
主文
一、被告は原告に対し金四九七、七〇〇円およびこれに対する昭和四一年一二月一九日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、原告は「被告は原告に対し金九二九、五〇〇円および昭和四一年一二月一九日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。
一、(事故の発生)原告は昭和四一年六月一四日午前一一時三〇分ごろ高岡市大坪地子町五七七番地先十字路交差点を大坪地子町方面より袋町方面へ渡るべく自転車に乗つて差し掛つたところ折りから同交差点を平米町方面より油町方面に向け進行してきた被告の運転する普通貨物自動車に衝突されて転倒負傷した。
二、(被告の過失)被告は平米町方面から油町方面に向け時速約三〇キロで進行中、交通整理が行なわれておらず、左右の見通しのきかない前記交差点に差しかかり直進するに際し、徐行および警音器吹鳴を怠り、右方道路から来る車両等がないことを確認することなく漫然同一速度でしかも道路の中央部を進行したものである。よつて、被告には過失がある。
三、(原告の損害)
1原告の被つた傷害は、頭部挫傷兼頭蓋内出血疑、脳震盪症、左下腿完全横骨折兼挫創、右手挫創というものであつて、これが治療、手術のため原告は昭和四一年六月一四日より同年九月三〇日までおよび同年一一月二八日より同年一二月八日までの合計一二〇日間入院し、同年一〇月一日より同年一一月二七日までおよび同年一二月九日より同月一六日までの合計六六日間通院生活を送つた。
2(休業補償)原告は本件事故当時洋裁仕立の賃仕事をして一日平均七〇〇円の収入を得ていたところ、前記入院通院期間中の一八五日間は右賃仕事を営むことができなかつたので、右損害金を一日七〇〇円として計算すると、一二九、五〇〇円となる。
3(慰謝料)前記入院通院により傷害は一応治ゆしたが、右傷害の手術の結果、左下腿中央より下三分の一へかけて伸側、脛骨面皮膚に縦に弓状の長さ約一三センチの細長い切創痕(手術創)が残つており、このため未婚妙齢の女性として、また結婚後も女性として精神的苦痛を受けるものであり、右苦痛に対する慰謝料として一〇〇万円が相当である。
四、右損害は被告の過失による不法行為に基づくものであるから、原告は民法七〇九条により、右損害の賠償(但し、慰謝料については内金八〇万円の限度で)と稼働能力の起点たる昭和四一年一二月一九日より完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める。
第二、被告は、請求棄却および訴訟費用原告負担の判決を求め、請求の原因に対する答弁として、同一項の事実は認める、同二項の事実は否認、同三項の事実は不知、と述べ、更に同三項の3につき、後遺症による慰謝料は自賠法施行令別表により、その該当障害について該当金額を認めるのが判例であり、原告の障害は右別表のいずれにも該当しない程度のものであるうえ、被告は原告のところへ約一〇回位見舞に行き、その際見舞金として二万円、見舞品として二回にわたり、一、五〇〇円相当の果物を渡しており、治療費、通院費、付添費、診断書代等合計二九九、六六六円も支払つていることを考えると慰謝料として一〇〇万円という金額は過大である、と述べた。
被告は更に仮定抗弁として次のとおり述べた。
一、本件事故現場の交差点の状況はつぎのとおりである。即ち被告の進行していた平米町方面から油町方面への道路は巾員五・八〇米の見通のきく直線道路であるに対し、原告の進行していた大坪町方面から袋町方面への道路は、交差点直前までの巾員は六・〇〇米であり、交差点直後の巾員は五・二〇米で急に狭くなつており、かつ、左右の全く見通しのきかない道路である。また、交通量においては、被告の進行道路の方が原告の進行道路より多いものである。従つて、交差点での衝突事故を防止するため、原告の進行していた道路の交差点から六・〇〇米手前左端に富山県公安委員会が指定した車両の一時停止の道路標識が立つているのである。被告の進路には一時停止の標識はない。右のような交差点を進行する際、車両の運転者は道路標識に従い、一時停止をなし、左右の道路から他の車両が進行して来ないかどうかを確認して進行しなければならないのに拘らず、原告は、この注意義務を怠り、道路標識に従つて一時停車をなさず、左右の安全も確認せず、漫然本交差点に差しかゝつたため、本件事故が起つたものであり、原告に重大な過失があるものと云わねばならない。
二、原告は、当時自転車に乗つて交差点にさしかかつたのであるが、その時、原告は自転車のハンドルの前に買物籠をかけ、更に右ハンドルに荷物をつめた袋を提げていたのであつて、これではハンドル操作が十分できる筈がなく、この点においても原告に過失がある。
三、また、本件事故後の警察官による実況見分によれば、原告の運転していた自転車は非常に古い自転車であり、そのブレーキも殆ど効かないものであつたのである。
四、以上のように、原告は、一時停止の道路標識に従わなかつたこと、右ハンドルに袋を提げていたこと、ブレーキの効かない自転車に乗つていたことの重大な過失がかさなつており、過失相殺を主張する。
第三、原告は被告より数回見舞を受け、見舞金として二万円を受取つたことは認めるが、治療費等は自賠責保険金によつて支払われたもので被告自らはなんらの支出もしていないし、その他慰謝料請求額が過大であるとの被告の主張は争うと述べ、被告の仮定抗弁事実も否認する、と述べた。
第四、証拠関係〔略〕
理由
一、(事故の発生)原告の請求原因一項の事実は当事者間に争いない。
二、(被告の過失)〔証拠略〕によれば、請求の原因二項の事実が認められ(この認定に一部反する〔証拠略〕は採用できない)、右事実によれば被告には過失があつたというべきである。
三、(原告の損害)〔証拠略〕によれば、請求の原因三項の1の事実が、また〔証拠略〕によれば、同三項の2の事実がそれぞれ認められ、右認定を動かす証拠はない。
また〔証拠略〕によれば、同三項の3のごとき手術創が残つていること、傷跡は現在でも梅雨期には鈍痛を感じること(もつとも医師の言によれば右鈍痛は将来は消えるであろうとのことである)、右手術創は色の濃いストッキングをはけば外部から判りにくいとはいえ未婚妙齢の女性たる原告としては恥ずかしく感ずること、等が認められ、更に前記のように、原告は本件事故のため手術を含む一二〇日間の入院生話と六六日間の通院生活を余儀なくされたものであるところ、他方、〔証拠略〕によれば、被告は原告を何度も見舞つており、見舞金として二万円を、また見舞品として菓子果物類を数回原告に渡していること、治療費等病院関係費は被告が負担した(もつとも後に自賠責保険金により填補を受けている)ことが認められ、以上の事情等を総合して考慮すると原告の本件事故による精神的苦痛に対する慰謝料は七〇万円が相当すである。
四、(過失相殺)
1〔証拠略〕によれば、被告の仮定抗弁一項の事実が認められ右事実によれば本件事故発生については原告にも過失があつたというべきである。
2次に同二項の事実につき、〔証拠略〕によれば、本件事故当時原告はその自転車のハンドル中央の前の籠にハンドバックを入れ、右ハンドルのベルの内側に母の下着二枚を入れた紙袋を掛けていたが、そのためにとくに自転車のハンドル操作に支障はなかつたことが認められ、この認定を動かすに足りる証拠や事情もないので、この点に関して原告に過失があつつたとはいえない。
3更に、同三項の事実につき、本件事故当時原告の自転車のブレーキは効かないものであつたかのごとき〔証拠略〕は、〔証拠略〕により認められるところの本件自転車は昭和三八年八月三日に購入され、本件事故の前年の同四〇年三月一八日ころ右購入の自転車店で分解整備および調整を受けている事実更には本件事故が原因でブレーキが効かなくなつたということも十分考えられるという事情に照らすときは、未だこれを採用するに足りず、他に右事実を認むべき証拠はない。よつてこの点に関しても原告に過失があつたとはいえない。
4以上により、本件事故については原告にも右1の過失があるので、これを斟酌するときは、原告はその前記三の損害額のうちその四割を減じたものを被告に対して請求しうるとするのが相当である。
五、(結論)よつて、原告の本訴請求のうち、休業補償七七、七〇〇円および慰謝料四二〇、〇〇〇円の合計四九七、七〇〇円およびこれに対する本件事故発生の日以後の日である昭和四一年一二月一九日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 古川正孝)